Dicerbility Dialogue

Vol.1 収益を生む特例子会社の姿 後編

前編では障害者雇用についてお話を伺いました。後編では川島さんのキャリア、今後の事業展開や取り組みについてお話を伺いました。

プロフィール 川島 薫(かわしま かおる)

1962年東京都生まれ。0歳の時に「先天性両股関節脱臼」との診断で手術を受けた。長女出産後に右股関節が悪化し1989年身体障害者手帳を取得。80年、教育事業出版社に就職し、経理業務に従事。85年、出産を機に主婦業に専念する。99年、空調メーカーのコールセンターSVとして8年勤務した後、CADの訓練校に入学。訓練校の先生の薦めで障害者就職面接会に参加し、2008年楽天ソシオビジネスに一般職社員として入社。特例子会社立ち上げメンバーとして採用・人事・労務・営業などのリーダー、マネージャー、部長職を経て2013年に取締役、2018年6月に副社長、2019年6月より現職。
著書に『障がい者の能力を戦力にする』(中央公論社)がある。

楽天ソシオビジネス株式会社 https://corp.rakuten.co.jp/socio/

2007年12月設立。2008年楽天グループの特例子会社認定を受ける。グループ内のアウトソーシング業務を拡大する一方、多様な人材の雇用を目指し独自事業を展開。2012年より通期黒字を継続。

やる前から諦めてしまうのが大嫌い。
負けず嫌いだったから今のキャリアがある

話は変わりますが、川島さん自身のキャリアにも興味があるのですが。

私はともかく負けず嫌いなんです。足が悪いので出来ないこともたくさんあったのですが、出来ないことをどうやったら出来るようになるか考えてきました。社会人になってまず経理の仕事につきましたが、当時は書類はほとんど手書き。まずは字をきれいに書きたいと思い必死に練習しました。台帳の整理も人一倍きれいにしました。とにかく自分に仕事が寄ってくるようにしたかったんです。パソコンが導入されてからは独学でどんどん勉強しました。

結婚して家庭に入って15年専業主婦をしましたが、その間は特段働きたいとは思わなかったです。3人の娘が小さいうちはなるべく一緒にいてあげたいと思っていましたし、自宅にいつお客様がいらっしゃっても饗せるように食材をプールしておいてお料理したり、何事もきちんきちんとこなそうとしていたように思います。

ただ、社会人経験が短い状態で結婚したので、このまま社会をあまり知らなくて良いのだろうかと。ある日、そんな思いが湧き上がってきました。15年のブランク。一番下の娘はまだ2歳。履歴書に何を書けば良いかも分からないような状態で、周りからは無謀だと言われました。

しかし、その時、自分の中ではひとりで3人の娘を育てている覚悟と、社会に出る心の準備は出来ていました。どうせなら1円でも多く稼ぎたい。そのためには自分でなんでもできるようにならなければ、と思いました。できることが増えればお給料が上がると思えば、新しいチャレンジも全然つらくありませんでした。楽しければ、いくらでも頑張れるものなのです。